私のちオレときどき僕

年収400万の家づくりノート、子育て、想うことなど。日々を綴ります。

街中が幸せな空気で包まれるこんな日だからちょっとだけ更新しても良いよねって気分

今日は定時ダッシュして駅のデパートへ。
お目当てはお嫁さんへのプレゼント。
サプライズ…という程でもないかな。
ここ2年くらい続けているので。

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中身はANNA SUIのハンカチ。
プレゼントは金額じゃない、とは言うけれど。
今年は金欠に加えてじっくり考えてる時間的な余裕も無くて。
なんかもうごめんなさいな内容。
来年はもう少し自分なりに納得出来るような、素敵なものが買えると良いなぁ。

そんなこんなで。
身辺はまだまだモヤモヤゴタゴタバタバタしていて。
完全復活とはいきません。
が。
僕は元気です。
ご飯をもりもり食べてます。
お風呂にゆっくりつかってます。
お布団でたっぷり寝ています。
そして。
音楽をいっぱい聴いてます。
中村一義を1stから聴き直しています。
最新作はおろかその前の100sのアルバムも持っていないという時代遅れな老人であるという事実に直面し、戦慄しています。

うまく言えないけれど。
こんなあぶなっかしい僕を暖かく見守ってくれている皆様へ感謝を込めて。
メリークリスマス。
皆様も、どうか良い夢を。

泣き虫。変わりたかった僕、変われなかった僕

僕は、泣いていた。

僕は、昔から泣き虫で。

今も、ちっとも変わらない。

 

 *

 

半月ほど前に僕と僕の初めての部下の話を書いた。

もう随分時間が経っていた昔の事だから、冷静に当時を振り返って書けるだろうと思って書き始めた。

でも、ダメだった。

途中からどんどん辛くなって、書くべきこともボロボロこぼれ落ちて。

最後まで書ききったというより、なんとか不時着したという具合だった。

 

 「この人、自分に酔ってるよな」

 

というコメントを頂いた。

言い得て妙だ。

僕は酔っていた。

ただ、その酔いはナルシズムではなくて。

悪い風に当てられた、ひどい悪酔いだった。

 

 *

 

僕は、変わりたかった。

でも、結局変われなかったのだと思う。

あの時ほどひどいことはもう起こさなかったし、起きなかったけれど、結果としてそれからも何人もの人間が傷ついて辞めていった。

僕に誰かを救うことなんて出来なかった。

最初からそんなことは出来るはずもなかったのだ。

ある時、誰かが言った。

 

 「xxx君がそうやって甘やかしているから、部下が育たないんだよ」

 

それもまた真実だ。

僕はぽっかりと穴があいたような虚無感に教われた。

それからは惰性で飛び続けているだけだった。

手がけていたプロジェクトに区切りがついた時、僕は会社を辞めようと思った。 

 

 *

 

今日、上司にそのことを伝えた。

街のコーヒーショップで周囲もはばからず年甲斐もなく泣き崩れながら伝えた。

上司は

 

 「気持ちは分かったが、また改めて話そう」

 

と言った。

 

 「オレは責任があるから逃げない」

 

とも言った。

逃げる?何から?どこから?辞めることは逃げることなのか?

お前に何が分かるんだと思った。

もう話す事なんて無いと思った。

けれどもう何も言う気力も無かった。

言葉を紡ごうとするだけで、震えて、涙がこぼれていた。

話すなんて、普段、簡単に出来ることが、出来なかった。

隣のテーブルで女子高生2人組が楽しそうにおしゃべりしていた。

こんなに近いのに、自分の住む世界とは違う、キラキラした映画の中の世界みたいだな、と思った。

 

 *

 

これからどうなるかは分からない。

正式に辞表を出したわけでもないので、いつ辞めるかも決まっていない。

気持ちをリアルでも吐き出せたことで少しだけすっきりしたけれど。

 

最後に、前回の記事で気分を害された方がいらっしゃったようで、大変申し訳ありませんでした。 

全て私の未熟さゆえです。

落ち着くまでしばらくブログのほうも休ませて頂きます。

ありがとうございました。 

 

 

(終)

若者が逃げていく会社「ため息ばかりじゃ何も変わらないですよ、社長さん!」

先日、昔から馴染みのある会社の社長さんにお会いする機会があった。

その会社は規模こそ小さいものの製造業一筋で二十余年。コツコツと頑張って来た会社で、社長さんも年齢を感じさせないパワフルな人物だ。

 

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しかし、その日はどことなく浮かない顔をしていて元気の無い社長。もしやと思って聞いてみると案の定。今年の春からの消費増税の影響もあってか今季の売り上げがかなり悪いらしい。
 
 「こういう時こそ、初心に戻って地道に営業じゃないですか?」
 
と振ると
 
 「いやぁ若いフレッシュな人間を採用しようとしてるんだけどねぇ。募集かけても全然来ないんだよねぇ」
 
とため息。
 
 「そうですか。あ、じゃあ○○さんはどうです?彼なら若手筆頭だしガンガン営業行けるんじゃないですか?」
 「○○は先月で辞めたよ。いきなりで取り付く島もなかった。あんなに話の通じないやつだったとはな」
 
と今度は一転、憤慨モード。
 
 「そ、そうですか。あ、じゃあここは空気を変える意味でも製品のラインナップ見直しはどうですか?新商品のアイディアも出てくるかもしれないですし」
 「いやぁ、それもなかなか余裕が無くてねぇ」
 
とまたまたしょんぼり。取り付く島もないのは社長のほうである。
 
若い人間が来ない、と社長は嘆いた。そりゃそうだろう。あれも出来ない、これも出来ないの言い訳ばかりでしまいには世間に恨み言を並べる始末。若い人間でなくても、こんなしょぼくれたオーラの無い人間がトップをつとめる会社に入りたいとは誰も思わないだろう。
 
さすがに部外者である僕からはそんなことは言えなかったので
 
 「すぐに挽回するのは無理でも、中長期的に成長していくために計画を立てて、ひとつずつやっていきたいですね」
 
とだけ言って切り上げた。
 
 *
 
ため息ばかりじゃ何も変わらない。
計画を立てて、行動しなければ。
プロセスが変わらなければ結果は同じ。
変わらないのだ。
一刻も早くパワフルだった頃の社長に戻って、また景気の良い話を聞かせてくれることを願うばかりである。
 
 
(終)

気をつけたいSNSとの付き合い方。Facebookアカウント削除に追い込まれた友人の話

僕の友人、原田(仮名・男性)の話。
原田と僕は高校時代からの付き合いで、半年か一年に一度ふと思い出したように連絡を取り合って飲みにいく...そんな割と緩い関係だった。
 
だった、というのは最近になってFacebook上でも友達になったため、お互いの更新情報でお互いの近況がなんとなく伝わる...そんなに関係に変化したからである。とはいえ僕も原田もそんなに熱心なFacebookユーザーではなかったので、近況報告が一年に一度から月に一度の頻度に変わったくらいではあったけれど。
 
そんなある日のこと。
僕がいつものようにFacebookのメッセージをチェックしていると「Facebookユーザー」と表記された見慣れないアカウントが目についた。「誰だろう?」と不思議に思って選択すると、過去に原田とやりとりしたメッセージ履歴が表示された。
 
これが原田のアカウントが消去されたのだと飲み込むのにそんなに時間はかからなかった。彼の更新を見るのが楽しみだったので残念だなという気持ちと、元々そんなに熱心でも無かったから飽きたのだろう、と納得する気持ち、半々くらいだった。
 
飽きただけだったらそのうち再開しないかな、と淡い期待を抱いていたのだが一ヶ月二ヶ月、半年と経っても復活する気配は無い。まぁ人それぞれだ。致し方ない。
 

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そんなことがあってから一年ほど。いい加減ほとぼりが冷めた頃に偶然原田に会う機会があって久々に飲みにいくことになった。話の流れでFacebookの話題になったので
 
「はらだー、お前なんでいきなりアカウント削除してんだよー」
 
と冗談っぽく振ると、急に真面目な顔になった原田は、「実は」と語り出した。
 
「あやうく失職するところだったんだ」
「え?」
 
聞けばこうだ。
ある日、原田は仕事で知り合いになったお客さん(男性)と飲みに行くことになった。趣味の話など色々と話しているうちにすっかり意気投合。楽しい一夜を過ごしてFacebookでも友達になった。
翌日。良い気分が冷めやらぬまま会社へ出社すると、すぐさま上司に別室に呼ばれた。
 
「原田君、大変なことになっている。これを見たまえ」
 
上司のパソコン見るとFacebook。そこには昨日のお客さんと自分が楽しそうに飲んでいる写真。そしてご丁寧に
 
「凸凹商事の原田さんと居酒屋○○で飲んでます♪」
 
とメッセージまでそえてある。
 
原田はあっと息を飲んだ。
上司はため息をつきながら続けた。
 
「マズイんだよ、こういうのは。癒着とか便宜をはかるための接待とか、世間にはそう見られるんだよ。事実がどうであれ、な」
 
「はい…」
 
事実、原田はやましいことをしていたわけではない。飲み代金も律儀に割り勘だった。しかし、上司の言葉の通り世間の目が許さない。原田の勤め先は誰でも知っている大企業というわけではないが、その業界内ではよく知られた存在。ライバル企業に知れたら格好のネタにされることは間違いない。
 
「実はついさっき、先方から謝罪の電話があった。もうすぐこの画像は削除される予定だ」
「そうですか...」
「お前の軽卒な行動がもたらしたことでもある。しばらくはSNS活動は禁止だ」
「わかりました...」
 
結局、原田はその日のうちにFacebookアカウントを削除した。
会社からはアカウントを削除しろとまでは言われなかったらしいが、もう色々と面倒臭くなって削除してしまったらしい。
楽しい一夜から一転、がっくりとうなだれたの一日となったのだった。
 
 
ネットとリアルをリンクさせて実名(もしくはそれに準ずる情報)で活動することには常にメリット・デメリット双方がつきまとう。SNSは使いこなせば楽しく便利なツールだが、振り回されないように注意したい。   
 
 
(終) 
 
 
 ***
 
 
あとがき。
以下の記事を読んで思うところがあって書きました。 
 


Twitterで身バレしないように気をつけていること - ネットの海の渚にて

 

正確には気になったのは記事よりブコメ。読んでいると予想以上に「参考になります」「気をつけないと」という系統の声が多かったのでおっさんとしては少々驚いた。もう少し「常識でしょ、今さら何言ってんの」という声が多いかと思っていたので。

あと別の場所で「古参どもの意見は今のネットの時代にそぐわない。これからは実名がスタンダードになるしそれで良いじゃん」という趣旨の発言をされていた方が複数人いまして。それはまぁ確かにそうだし、元記事はTwitterの話なので若干違うんですけれども、根っこにある問題は同じだと思っていて。便利な道具も一歩使い方を間違えると今回のように最悪失職するとかそういうリスクもあるので、それを踏まえた上でネットもリアルも行動したいよね、と。ネットがあることが空気のように当たり前なデジタルネイティブ・ソーシャルネイティブな皆様にも伝えたかった次第です。

 

こちらからは以上です。

【ゆるぼ】たこ焼きのたこ抜きは何て呼べば良いの?

先日のこと。
ショッピングモールで子供達とたこ焼きを食べていた。
うちの子供達はたこ焼きが好きなのだが、たこは嫌いである。よって、たこをよけて外側の部分のみ食べている。
つまり「たこ焼きのたこ抜き」バージョンだ。はてさて。これは何と呼べば良いのだろう。

たこ焼きからたこを抜くから…
「焼き」?
以前気になって友人に聞いたら
「それは玉焼きと言うのだよ」
と教わったことがあるのだがこれが本当に正式名称なのか分からず、ネットで調べてもイマイチ核心をつく回答が得られない。最終的には
「たい焼きにはたいが入ってなくてもたい焼きだから、たこが入ってなくてもたこ焼きで良いのである」
などと言うトンチのような回答に行き当たる始末。いよいよもって迷宮入りである。

そんな至極どうでも良いことを考えていたら近くの席に座っていた乳児がむずかりだして、20代くらいのママさんが抱っこしてあやしはじめた。見ればほっぺたがこぼれ落ちそうな子供である。

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乳児から幼児くらいにかけての子供のほっぺたの柔らかさは素晴らしい。赤の他人の子供でもぷにぷにしたくなるほどである。いや、お縄を頂戴したくないので勿論やらないがそれくらい良いものだ。クレヨンしんちゃんでも後ろからのアングルだとほっぺたがぷっくり強調されているのは皆さんご存知の通り。あの描写はとても良いものである。

そんなことを考え始めるとたこ抜きたこ焼きのことはとても些細なことでどうでも良くなってくるのだが、またそのうちふと気になることがありそうなので答えがあるなら知りたいところである。


(終)

ブログを読んでいたら不覚にも声を出して笑ってしまった話

あまり他人の記事に言及しない小心者の私ですが、久しぶりに笑劇衝撃を受けた記事があったので紹介します。

 


kukuruzaのポップコーンを食べたよ♡ - 今日の良かったこと

 

子育てブロガー改め相撲ブロガーとしてどすこいどすこいと日々精進されているりょうさんのブログです。 

ブロガー同士のブコメによる交流は度が過ぎると「井戸端ブクマうざい」と怖い人達ににらまれたりする昨今。そこへ敢えて井戸端会議テンプレートを持ち込むという、見方によってはある意味とんでもないカウンターをぶちかましてます。

おそらくりょうさん自身は意図的にカウンターをあてようと思って書いたわけではないと思うのですけれど、私にはそう思えてしまって声を出して笑ってしまいました。

 

私のようなうがった楽しみ方をしなくても「ちょっと聞いてよ〜」とグイグイ進む井戸端口調にクスリとさせられること請け合い。未読の方は是非ぜひ。

 

それではまた。

モテ男の悩み?モテる=結婚出来るではないという話

かの福沢諭吉は
「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」
と言った。
I have a dream の演説で有名なキング牧師も人間は皆平等だと訴えた。

しかし、実際には人は生まれながらにして不平等である。
この世の中には2種類の人間がいる。
それはすなわち、モテる人間とモテない人間だ。

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こんなことを言うと嫁さんには申し訳ないのだが、私はお世辞にもモテる側の人間ではない。
その証拠に、高校の同窓会で恩師に結婚しましたと報告したところ

  「xxx君は結婚とは一番縁遠い人だと思ってた」

と真顔で驚かれたことがあるほどだ。恩師も笑顔でなかなかキツイことを言うなぁと苦笑いした同窓会の思い出。

その高校の同級生でルックス良しスポーツ万能かつ家柄も良いというパーフェクト超人的なモテ男が居るのだが、まだ結婚していないらしい。彼がどれくらいモテるかというと、そのモテ男と一緒に帰っていたら面識の無い他校の女子生徒(清純そうでかわいい)に突然

「あ、あのっ…実は前から…」

みたいに声をかけられたりしていた。勿論、その場において私の存在は完全なる空気であることは言うまでもない。

そんな彼が同窓会で再会した時に「誰か居ないかなぁ」とこぼしていたというのは何とも不思議なものだ。

モテ過ぎて一人の相手に絞り切れずダメということはあるのだろうか。もしくは性格に相当問題があるのか。

非モテの苦悩がモテ男に分からないのと同様に、モテ男の苦悩もまた非モテ男には分からない。

ただひとつ分かっていることは、世の中分からないことだらけだ、ということである。


(終)