私のちオレときどき僕

年収400万の家づくりノート、子育て、想うことなど。日々を綴ります。

仕事のためにプライベートな時間を犠牲にして欲しいと言われたら。あなたはどうしますか?

もし
「仕事のためにプライベートな時間を犠牲にしろ」
と言われたら…あなたならどうするだろうか?

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昨日、駅のホームで子供の担任の先生を見かけたというエントリーを書いた。


すると

「それ、私も似たようなことあります。というか、先生あるあるですね」

とのコメントを頂いた。
コメントをくれた方は小学校の教師をしている。数年前に結婚したのだが結婚する前のお付き合いをしている期間は、公共の場でパートナーと手を繋ぐのはNGにしていた、と言う。

「校区内(やその付近)だと、どこで子供達に見られているか分からないから」

という理由だそう。実際にパートナーと2人でショッピングモールに出かけた翌週、休み明けに生徒から

「先生、xxxのイオンにいたよね?何してたの?」

と聞かれて驚いたことがあったらしい。まぁ別に何か悪いことをしているわけではないので見られても構わないのだろうが…これではいつフライデーされるか分からない著名人状態。心の底からほっと一息つけるような解放されたプライベートな時間はなかなか確保出来ないだろう。

上記とは別の知人で大学の研究員をしている方が居る。この知人は大学から少し離れた場所にアパートを借りている。生活圏と仕事圏を分けて暮らしたい…要するにプライベートな時間に学生と鉢合わせたくない…がためにそうしているそうだ。

教師は学校内では勿論、プライベートな時間も生徒の模範となるような行動が義務付けられる。これが暗黙の了解なのか明文化されているのかは分からないが、事実そうであることは間違いない。
この国の未来を担うのは若い子供達であり、その子供達を指導してくれるのが教師である。時にはプライベートな時間をも犠牲にしてくれている。
今年の春先には入学式に有給休暇を取得した教師と学校が話題になった。プライベートな時間を取ろうとする姿勢に対して常識という名目の抑止力が働く場合すらある。滅私奉公せよ、励めよ、という風潮。
このまま進んでいくと、近い将来教師という職業は著名人どころか聖職者の域に達してしまうかもしれない。

共働きに関するエントリーでも同じようなことを述べたが、このような息苦しさから脱却して

「そういうこともあるよね。まぁお互い様ってことで」

と笑顔で歩み寄って暮らしていきたいものである。