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私のちオレときどき僕

年収400万の家づくりノート、子育て、想うことなど。日々を綴ります。

鬱病で会社を辞めていった君へ

社会人生活1年目を過ぎた頃。

僕に初めての部下が出来た。
名を綾野という。
 
綾野は専門学校卒で20歳。右も左も分からないような青年だったが初めての部下ということで、彼の面倒を見てやろうと僕は張り切っていた。
 
研修期間から担当してメールや報告書の書き方からみっちり指導。休憩で一緒にメシに行くようなことがあれば必ず奢っていた(自分も大してお金を持っていないくせに)。
 
要するに、先輩風をビュウビュウと吹かせていたわけである。
 
綾野はお世辞にも要領が良いとは言えなかった。むしろすこぶる悪いタイプだった。3ヶ月の研修期間が終わる頃になっても、誤字脱字等のいわゆるケアレスミスが多かった。その部分に関しては細かく注意したり敢えて注意せずに自分で気がつくように仕向けたり色々と試していたがなかなか改善傾向は見られなかった。
 
ただ、綾野のパフォーマンスが良くないことについて僕は楽観的だった。
自分が20歳そこそこの頃なんてまだ学生で、お小遣い稼ぎ程度にバイトを少しかじっているぐらいだった。それに比べたら綾野は既に社会人として働き始めていてその点では彼を尊敬していたし、自分より数年間の猶予があるのでゆっくりと上達していけば良いと思っていた。
 
 
3ヶ月の研修期間を終えて実際の業務に入っても綾野のパフォーマンスは低いままだった。相変わらずケアレスミスは多く改善傾向は見られなかった。僕が見えている範囲の場合はカバー出来たが、どうしてもお客さんにダイレクトに見えてしまう部分があり、クレームがちょくちょくあがるようになった。また、社内で総務からも綾野に関して勤務表などの提出が遅く出てきてもミスが多い、と指摘があった。この段階でもまだ僕は時間が解決してくれるだろうと楽観的だった。
 
 
さらに3ヶ月後。綾野の入社から半年ほど経った頃。最初の異変が訪れた。業務が忙しくなるにつれて毎日提出することになっている報告書の提出が滞りはじめた。1日、2日と遅れ、週末にまとめて出すようになり、ついには出なくなった。僕が提出するように促すとすみません忘れてました、と言ってようやく出る調子だった。
ある日、部長から僕宛にメールが届いた。
 
 「最近綾野君の提出物がルーズで目に余る。やる気が無いのならやらなくて良い。また、本件は上司であるあなたの管理責任でもある。早急に対応するように」
 
僕は、自分自身も綾野本人もやる気はあり必ず改善します、と返信した。
この時の僕はこれからさらに状況が悪くなっていくなどとは全く考えもしなかった。
 
 
次の異変が訪れた。
綾野は朝9:00に出勤しなくなった。
フレックスだったので9:00ちょうどに出社する必要は無いのだが、それまではそんなことはなく毎日9:00に来ていた。
それから、ズルズルと遅刻・欠勤を繰り返すようになった。
 
綾野は元々アトピーがひどく、遅刻や欠勤の理由はアトピーでよく眠れない、身体がだるい・痛い、というものだった。
 
次第に遅刻や欠勤の連絡も来なくなり、こちらから今日は来るのか?と連絡して確認しなければならなかった。そんな状況が毎日のように続いた。
そしてそれが部長に知れると僕は相当な勢いで叱責された。
 
 「連絡も出来ないなどあり得ない。やめてしまえ」
 
大丈夫です。改善しますので続けさせてください、と僕は言った。
 
 
次の異変が訪れた。
連絡が来ないばかりか、こちらから電話をしても繋がらない状況になった。僕は部長に呼び出された。部長から電話をしてもやはり出ない。協議の末、僕が綾野の自宅まで様子を見に行くことになった。綾野の自宅は駅から少し離れていて、タクシーで15分ほどのところだった。
 
夜の9時頃だったと思う。
綾野の家の前に着いた僕は携帯に電話をかける。
出ない。
もう一度かける。
出ない。
今度は自宅の電話にかける。
プルルルルと家電の着信音が外に居る僕にも聞こえた。やはりこの家だ。間違いない。しばらくかけ続けると、年配の女性が出た。お祖母さんだった。
 
 「はい。綾野ですけれど」
 「私、会社で綾野君の上司をしています、xxxと申しますが」
 「あぁはい。お世話になっております」
 「綾野君に連絡が取れないので心配になりまして。今、いらっしゃいますか?」
 「少々お待ち下さい。…△△△くーん、△△△くーん!」
 
数分後、綾野が出た。声の調子から眠っていたようだった。
 
 「はい…もしもし…」
 「xxxだけど。今、家の前に来てるんだけど」
 「えっ!?」
 
驚いた様子だったが、すぐに家に招きいれてくれた。
綾野の部屋に入った僕は、差し入れの栄養ドリンクを渡して彼の話を聞いた。
 
今回連絡が取れなかったのは、ちょうど携帯の充電が切れていて、その状態で寝込んでしまったためだと綾野は釈明した。
僕は、そうだったのか、と素直に信じて少し安堵した。部長にもそのように報告したが、部長は納得していないようだった。
 
 
その一件の後も綾野の出勤状況は改善されず、有給休暇はすぐに底をついてしまった。僕はまた部長に呼び出された。
 
 「この状況では会社として承認できない。綾野君と相談して上司としてどうするのか決めろ」
 
僕は、綾野と会話して、まだ本人に続けたい意思があることを確認した。そして続けさせてください、と部長に言った。後日、書面で業務改善命令を通告され、綾野は減給処分となった。
 
僕は部長にこう言われた。
 
 「今月は既に半分以上欠勤している。持病のこともあるから遅刻はともかく、次に無断欠勤するようなことがあったらその時は覚悟しておくように」
 
僕はただ、はい申し訳ありませんとしか言えなかった。
 
 
数日後。
綾野は無断欠勤をした。
僕が昼食時に電話をしてみると、出た。そして
 
 「すみません、今日は身体が痛むので休ませて下さい…」
 
と弱々しく受話器の向こう側で言った。
電話を切った僕は終わった、と思い絶望的な気持ちの中、お昼を食べた。ラーメンだかうどんだかを食べたが、何の味もしなかった。それまで食べた中で一番不味い昼食だった。
 
 
綾野は自宅療養することになった。
一ヶ月間体調を整えることに専念して、その後復帰することになっていた。
僕はまだ信じていた。体調さえ回復すれば大丈夫だと思っていた。
休職中にこういう勉強をしておこう、と決めて綾野と約束した。
メールで勉強の状況を報告することになっていたが、今日は体調が優れないのでここまでにします、という内容が来るようになった。
メールの文面からも、体調が回復しているようには見えなかった。
 
 
一ヶ月後、綾野が来ることになっていた日。
そこに彼の姿は無かった。
連絡も無かった。
 
 
僕は部長に呼び出された。
 
 「この書類に記載して、提出するように」
 
退職に際して業務上知り得た機密保持を約束する文書だった。
 
 
次の日の朝。
僕は再度綾野の家を訪れた。
そこで話をした。
 
 「もうちょっと頑張ろう。ここで諦めてしまったら、これまで積み上げてきたものが全部水の泡になってしまうぞ」
 
すると綾野は
 
 「信じてもらえないかもしれませんが」
 
と前おきをして
 
 「会社に行こうとすると頭がグチャグチャになっておかしくなりそうなんです」
 
僕は何も言えなかった。
体調が回復するとかそんな次元ではなかった。 
綾野は明らかに精神を病んでいた。
終わった、と思った。
 
* 
 
結局、僕は上司として綾野を導いてやろうなどと考えているようで、実際のところは全く何も出来ていなかった。むしろ部長に責任を問われて自分の保身を考えているだけだった。彼を守るどころか追いつめるようなことばかりしていたことに、最後の最後になってようやく気づいた。
綾野と別れた後。
僕は、泣いた。
トイレで泣いた。
赤くなった目をぐっと眼鏡の奥に隠した。
 
 
綾野と過ごしたのはちょうど1年。
その間、部長に何度も叱責されて胃の奥が焼けるような苦しい感情を何度も味わった。
だが、綾野の気持ちを考えれば、僕の抱えているものなんて全然大したことはなかったのだ。
一人の人間の人生を狂わせてしまったのだ、という負の感情が僕にのしかかった。
 
謝ったところで、何も許されないだろう。
そして許してもらうつもりも無い。
 
ただ、この一件以降、上司だろうと社長だろうとお客だろうと誰に何と言われようと、部下は自分が守ると決めた。自分が追いつめるようなことは決してしてはならない。そんなことをするぐらいなら先に自分の首を差し出す。そう決めた。
 
それだけが僕が一生をかけて出来るつぐないだと思うから。
 
 
(終)