私のちオレときどき僕

年収400万の家づくりノート、子育て、想うことなど。日々を綴ります。

人は水と同じ。高きから低きに流れ、滞留すれば直に濁っていく。

師走。

北風が冷たさを増して、それに追われるように日々の生活も慌ただしさが徐々に加速してくる。

 

僕はというと、しばらく仕事をもらっていたお客さんから「不景気で仕事が無くてねぇ」と残念な話があり、この年末で一旦契約を打ち切る方向で話が進んでいるところだ。

その場は

 

 「ま、しゃあないっすね!また何かあったらお願いします!」

 

と明るく返したものの、はてさてどうしたものか。

本来であれば速攻で別のところに営業をかけたり、自分の手に余るのであれば会社にお願いするところなのだが...どうにも二の足を踏んでいる。来年には自分自身の引っ越しが控えているというプライベートな事情もあって、この際転職するのもひとつの手かな、と思ったりしてまだ考えがまとまらずにいる。

 

 *

 

人は水と同じ。

高きから低きに流れ、滞留すれば直に濁っていく。

血液のように自らを常に循環させなければならないのだ。

 

今の会社にずっと居る必要は無い。

むしろ、ずっとひとつの場所に長く留まり過ぎたのかもしれない。

 

今日一晩、ゆっくり考えて。

それから色んな人に相談するとしよう。

「パパにも小さい頃あったの?」みんな昔子供だってね

先日の風呂上がりのこと。

上チビ(5歳)がかゆいかゆいと言うので背中を見てみたら赤いぷつぷつが出来ていた。幼稚園で水ぼうそうが流行っているので多分そうだろうな、と病院に連れて行ったらやはりその通りだった。
 
予防接種は1度受けているのだが1度では抗体が出来ないこともあるらしく、万全を期すならば2回が推奨されている模様。
 
病院で診てもらった結果、幸い症状は軽いためひとまず様子を見ましょう、という話になって薬は処方されなかった。1度目の予防接種のおかげで軽く済んでいるのかは不明。感覚的にはそんな気がするけれど。
 
 *
 
そんなわけでここ数日、上チビはお風呂には入れずシャワーだけで済ませている(あまり身体が熱くなりすぎると良くないらしい)。下チビと2人でお風呂に入っているとこんなことを聞かれた。
 
 「パパはどこで わんとぅー覚えたの?」
 
"わんとぅー" とは英語のことだ。お風呂で湯船につかる時に数を数えるのだが、いちにさんし、と数えるのに飽きてきたので最近は英語バージョンを採用している。
 
 「学校で勉強したよ」
 「えっ!パパも学校行ってたの!?」
 「小学校も中学校も、、、小さい頃は幼稚園も行ったよ」
 「何幼稚園!?」
 「○○○幼稚園。今は無くなっちゃったけどね」
 「へぇぇ〜!パパにも小さい頃あったの!?」
 
お、おう。今じゃこんなおっさんになってしまったがな。
下チビにとって生まれてこのかた親はずっと親で、子供の頃があったなんて想像もつかないのだろう。そんなことを話していたら THE YELLOW MONKEY の JAM という曲を思い出した。
 


THE YELLOW MONKEY「JAM」 - YouTube

 

あの偉い発明家も

凶悪な犯罪者も

みんな昔子供だってね 

(JAM/THE YELLOW MONKEY より)

 

今度、パパとママの子供の頃の写真を一緒に見るとしましょうかね。

 

 

(おわり)

きょうはブログ休みます

「きょうは会社休みます」って漫画がドラマ化されたのでタイトルかぶせてくるブログ絶対居るだろーなーと思って見てたんですけど、観測範囲内には現れなかったっぽいのでやりました。

そうそう、最近気づいたんですけれども。日本の警察っておカタいばかりじゃなくて、非常にこう庶民的というかですね。親しみやすさがあるな、と。
何かって言うとですね。こないだ休みの日にドライブしてたらですね、道路上にある電光掲示板が目に入りまして。そこに

  「飲酒運転 ダメよ〜ダメダメ」

って書いてありまして。

 ( ゚Д゚)…!?

この文言って警察の管理…で良いんですかね?何にしても一般企業ではないわけで。OK出すほうも凄いな、と。

でも、この文言出しちゃうと

「いいじゃないのぉ〜」

って返されてダメダメ側がバグって終わりそうな気がするんですけど。そこまで折り込み済みだったら太っ腹過ぎて脱帽だな、と思いました。

以上。
今日はブログ休みます、の巻でした。


鬱病で会社を辞めていった君へ

社会人生活1年目を過ぎた頃。

僕に初めての部下が出来た。
名を綾野という。
 
綾野は専門学校卒で20歳。右も左も分からないような青年だったが初めての部下ということで、彼の面倒を見てやろうと僕は張り切っていた。
 
研修期間から担当してメールや報告書の書き方からみっちり指導。休憩で一緒にメシに行くようなことがあれば必ず奢っていた(自分も大してお金を持っていないくせに)。
 
要するに、先輩風をビュウビュウと吹かせていたわけである。
 
綾野はお世辞にも要領が良いとは言えなかった。むしろすこぶる悪いタイプだった。3ヶ月の研修期間が終わる頃になっても、誤字脱字等のいわゆるケアレスミスが多かった。その部分に関しては細かく注意したり敢えて注意せずに自分で気がつくように仕向けたり色々と試していたがなかなか改善傾向は見られなかった。
 
ただ、綾野のパフォーマンスが良くないことについて僕は楽観的だった。
自分が20歳そこそこの頃なんてまだ学生で、お小遣い稼ぎ程度にバイトを少しかじっているぐらいだった。それに比べたら綾野は既に社会人として働き始めていてその点では彼を尊敬していたし、自分より数年間の猶予があるのでゆっくりと上達していけば良いと思っていた。
 
 
3ヶ月の研修期間を終えて実際の業務に入っても綾野のパフォーマンスは低いままだった。相変わらずケアレスミスは多く改善傾向は見られなかった。僕が見えている範囲の場合はカバー出来たが、どうしてもお客さんにダイレクトに見えてしまう部分があり、クレームがちょくちょくあがるようになった。また、社内で総務からも綾野に関して勤務表などの提出が遅く出てきてもミスが多い、と指摘があった。この段階でもまだ僕は時間が解決してくれるだろうと楽観的だった。
 
 
さらに3ヶ月後。綾野の入社から半年ほど経った頃。最初の異変が訪れた。業務が忙しくなるにつれて毎日提出することになっている報告書の提出が滞りはじめた。1日、2日と遅れ、週末にまとめて出すようになり、ついには出なくなった。僕が提出するように促すとすみません忘れてました、と言ってようやく出る調子だった。
ある日、部長から僕宛にメールが届いた。
 
 「最近綾野君の提出物がルーズで目に余る。やる気が無いのならやらなくて良い。また、本件は上司であるあなたの管理責任でもある。早急に対応するように」
 
僕は、自分自身も綾野本人もやる気はあり必ず改善します、と返信した。
この時の僕はこれからさらに状況が悪くなっていくなどとは全く考えもしなかった。
 
 
次の異変が訪れた。
綾野は朝9:00に出勤しなくなった。
フレックスだったので9:00ちょうどに出社する必要は無いのだが、それまではそんなことはなく毎日9:00に来ていた。
それから、ズルズルと遅刻・欠勤を繰り返すようになった。
 
綾野は元々アトピーがひどく、遅刻や欠勤の理由はアトピーでよく眠れない、身体がだるい・痛い、というものだった。
 
次第に遅刻や欠勤の連絡も来なくなり、こちらから今日は来るのか?と連絡して確認しなければならなかった。そんな状況が毎日のように続いた。
そしてそれが部長に知れると僕は相当な勢いで叱責された。
 
 「連絡も出来ないなどあり得ない。やめてしまえ」
 
大丈夫です。改善しますので続けさせてください、と僕は言った。
 
 
次の異変が訪れた。
連絡が来ないばかりか、こちらから電話をしても繋がらない状況になった。僕は部長に呼び出された。部長から電話をしてもやはり出ない。協議の末、僕が綾野の自宅まで様子を見に行くことになった。綾野の自宅は駅から少し離れていて、タクシーで15分ほどのところだった。
 
夜の9時頃だったと思う。
綾野の家の前に着いた僕は携帯に電話をかける。
出ない。
もう一度かける。
出ない。
今度は自宅の電話にかける。
プルルルルと家電の着信音が外に居る僕にも聞こえた。やはりこの家だ。間違いない。しばらくかけ続けると、年配の女性が出た。お祖母さんだった。
 
 「はい。綾野ですけれど」
 「私、会社で綾野君の上司をしています、xxxと申しますが」
 「あぁはい。お世話になっております」
 「綾野君に連絡が取れないので心配になりまして。今、いらっしゃいますか?」
 「少々お待ち下さい。…△△△くーん、△△△くーん!」
 
数分後、綾野が出た。声の調子から眠っていたようだった。
 
 「はい…もしもし…」
 「xxxだけど。今、家の前に来てるんだけど」
 「えっ!?」
 
驚いた様子だったが、すぐに家に招きいれてくれた。
綾野の部屋に入った僕は、差し入れの栄養ドリンクを渡して彼の話を聞いた。
 
今回連絡が取れなかったのは、ちょうど携帯の充電が切れていて、その状態で寝込んでしまったためだと綾野は釈明した。
僕は、そうだったのか、と素直に信じて少し安堵した。部長にもそのように報告したが、部長は納得していないようだった。
 
 
その一件の後も綾野の出勤状況は改善されず、有給休暇はすぐに底をついてしまった。僕はまた部長に呼び出された。
 
 「この状況では会社として承認できない。綾野君と相談して上司としてどうするのか決めろ」
 
僕は、綾野と会話して、まだ本人に続けたい意思があることを確認した。そして続けさせてください、と部長に言った。後日、書面で業務改善命令を通告され、綾野は減給処分となった。
 
僕は部長にこう言われた。
 
 「今月は既に半分以上欠勤している。持病のこともあるから遅刻はともかく、次に無断欠勤するようなことがあったらその時は覚悟しておくように」
 
僕はただ、はい申し訳ありませんとしか言えなかった。
 
 
数日後。
綾野は無断欠勤をした。
僕が昼食時に電話をしてみると、出た。そして
 
 「すみません、今日は身体が痛むので休ませて下さい…」
 
と弱々しく受話器の向こう側で言った。
電話を切った僕は終わった、と思い絶望的な気持ちの中、お昼を食べた。ラーメンだかうどんだかを食べたが、何の味もしなかった。それまで食べた中で一番不味い昼食だった。
 
 
綾野は自宅療養することになった。
一ヶ月間体調を整えることに専念して、その後復帰することになっていた。
僕はまだ信じていた。体調さえ回復すれば大丈夫だと思っていた。
休職中にこういう勉強をしておこう、と決めて綾野と約束した。
メールで勉強の状況を報告することになっていたが、今日は体調が優れないのでここまでにします、という内容が来るようになった。
メールの文面からも、体調が回復しているようには見えなかった。
 
 
一ヶ月後、綾野が来ることになっていた日。
そこに彼の姿は無かった。
連絡も無かった。
 
 
僕は部長に呼び出された。
 
 「この書類に記載して、提出するように」
 
退職に際して業務上知り得た機密保持を約束する文書だった。
 
 
次の日の朝。
僕は再度綾野の家を訪れた。
そこで話をした。
 
 「もうちょっと頑張ろう。ここで諦めてしまったら、これまで積み上げてきたものが全部水の泡になってしまうぞ」
 
すると綾野は
 
 「信じてもらえないかもしれませんが」
 
と前おきをして
 
 「会社に行こうとすると頭がグチャグチャになっておかしくなりそうなんです」
 
僕は何も言えなかった。
体調が回復するとかそんな次元ではなかった。 
綾野は明らかに精神を病んでいた。
終わった、と思った。
 
* 
 
結局、僕は上司として綾野を導いてやろうなどと考えているようで、実際のところは全く何も出来ていなかった。むしろ部長に責任を問われて自分の保身を考えているだけだった。彼を守るどころか追いつめるようなことばかりしていたことに、最後の最後になってようやく気づいた。
綾野と別れた後。
僕は、泣いた。
トイレで泣いた。
赤くなった目をぐっと眼鏡の奥に隠した。
 
 
綾野と過ごしたのはちょうど1年。
その間、部長に何度も叱責されて胃の奥が焼けるような苦しい感情を何度も味わった。
だが、綾野の気持ちを考えれば、僕の抱えているものなんて全然大したことはなかったのだ。
一人の人間の人生を狂わせてしまったのだ、という負の感情が僕にのしかかった。
 
謝ったところで、何も許されないだろう。
そして許してもらうつもりも無い。
 
ただ、この一件以降、上司だろうと社長だろうとお客だろうと誰に何と言われようと、部下は自分が守ると決めた。自分が追いつめるようなことは決してしてはならない。そんなことをするぐらいなら先に自分の首を差し出す。そう決めた。
 
それだけが僕が一生をかけて出来るつぐないだと思うから。
 
 
(終)

成長し続けるために「悔しい」「恥ずかしい」と思う気持ちを大切にする

先日、仕事で失敗をした。

失敗というより敗北というほうがしっくりくるレベルだ。

こんなことを言うと少々大げさに聞こえるかもしれないが、そのせいで丸一日を棒に振ってしまったし、自力では解決出来ず同僚に助けてもらってなんとか切り抜けた体たらくだったので自分としては完全なる敗北だった。仕事から帰る電車の中でも
 
  「あぁ自分ってつくづく情けないなぁ」
 
とがっくり肩を落としていたのである。
 
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しかし少し時間が経ち冷静になってから何故自分はこんなに落ち込むのだろう?と心の中を探ってみると、その根っこには
 
  「自分はもっとやれるはずだ」
 
というちっぽけなプライドがあることに気づいた。がっかりするということは自分で自分に期待していることの裏返し。
 
  「自分で自分に期待する」
 
口をついた言葉がとある曲を思い出させた。
 
俺はまだここに居るぜ
ずっと死ぬまで泣いているぜ
俺はまだ俺を好きか
(明日はどっちだ!/真心ブラザーズ)
 
俺はまだ俺を好きか?と自問自答する炎のシンガー、YO-KING。
そんな彼に自分を重ね合わせる。
そう、オレもまだオレを好きでいたい。
老け込んで錆びつくにはまだ早い。
人生死ぬまで勉強。
往生際悪く、最後まであがきまくってやろうじゃないか。
 
 
負けねえぞ
明日はどっちだ
君はどこにいる
 
よし、明日も頑張ろう。
 
 
(終)

東北美人・佐々木希は突然かわいくなった? 言葉の定義について

数ヶ月前のこと。
東北地方在住の友人と飲む機会があった。話の流れで

  「東北には美人が多いと言われるが本当か?」

という話題になり、友人は悩んだ末にこんなことを言った。

  「芸能人で言うと…あのごなぁ…名前なんだっけなぁ…いきなりめんこい」
  「?」
  「あぁ!佐々木希だ。あのごはいきなりめんこい」
  「???」

めんこい=かわいいという意味合いであることはおおよそ検討がつく。しかし、いきなりとは何事だろう?腑に落ちなかったので

  「かわいいのに、いきなりとか前もってとかゆっくりとかないだろ?」

とツッコミを入れると、友人は一瞬だけ怪訝な顔をした後、笑いながら

  「いきなりっていうのは、とっでもって意味だよ」

と教えてくれた。
なるほど。
いきなりは 突然(suddenly) ではなく とても(very) という意味の方言だったのだ。


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言葉とはコミュニケーションツールである。他人と意思疎通をはかるための道具。裏を返せば、あうんの呼吸や目で会話出来るのならばそれで良い。わざわざ言語化する必要は無い。

無論、そんな間柄になれる相手は一生の間にそうそう見つかるものではなく1人居るか居ないかだろう。世の中の大半の相手はそうではないから言語化してお互いに共通の認識を持つ必要がある。

一時期、某所で盛り上がったミニマリストの定義をめぐる議論がまともな議論にならなかったのは発信者たるミニマリスト諸氏の多くが

  「ロックってのはジャンルじゃなくて生き様だから。アイムロッカーって名乗れば誰でもロックミュージシャンなの!」

といきっている中二病まっさかりのティーンと変わらない理論を展開したためである。
(ちなみにロックであっても黒人音楽であるブルースをベースとした音楽からロックンロールへ進みプレスリー、ビートルズ…という歴史があってその文脈の中で語られるべきである。ただ名乗れば良いってワケじゃない。やたら守備範囲が広いからほとんどのケースを飲み込んで許容してしまうだけの話。)

言葉で定義された枠に縛られたくないとか、言葉なんかに大した意味は無いから定義などせずにそのままで良い、と言うのはさすがに不親切ではなかろうか。

冒頭の会話で言うなれば

  「突然かわいくなった東北美人・佐々木希」

という意味不明なキャッチフレーズを披露された相手が頭の上にでっかいクエスチョンマークを浮かべているわけだから、何らかのフォローはあって欲しいなぁと思う。

言語化が難しいもの・出来ないもの。そういったモヤモヤしたものは確かに存在するけれども、言語化すること自体を軽んじて良いことにはならないよね。そこはなるべく努力したいよね。という想いをつらつら綴ってみました。


(終)

子供と通学路を歩いてきた話

ただの日記です。

 

今日は天気が良く風も少ない...11月にしては暖かい日でした。

来年、上チビが小学生になる予定の我が家。

 

 「よし、散歩がてら予行演習するか」

 

ということで新居から小学校までの通学路を歩いてきました。

私自身も6年間毎日通った道です。

 

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 「あぁここは○○○君の家だ。元気かなぁ」

 「あれ、こんなところに新しく家が建ってる」

 「そういえば△△△屋のおじさん、お店辞めちゃったんだっけ」

 「用水路の脇のフェンスが新しくなってる。古かったからなぁ」

 

などと懐かしく思いながら子供のペースに合わせてのんびり歩きました。

のんびり散歩と書けば聞こえは良いものの、我が家から小学校まではそこそこ距離があって子供の足だと片道30分はかかります。上チビ(5歳)はともかく、下チビ(3歳)はさすがに途中で疲れてしまって

 

 「だっこー。だこだこだっこー」

 

と、だこだこ&ぐずぐず星人になってしまいました。ま、しゃあないすね(苦笑

帰り道は嫁さんと交代しながら下チビをおんぶしたり抱っこしたりで汗だくになりながら戻りました。その足で実家に寄っていくと父と母がおやつを用意して出迎えてくれました。父は

 

 「遠かったのに頑張って歩いたなぁ。お父さんもお爺ちゃんも毎日通ったんだよ」

 

と顔をしわくちゃにして言いました。

あぁそうだった。

言われるまで完全に忘れていましたが、父も同じ学校出身だったのです。

親子3代に渡って同じ学校というのも、最近では珍しいかもしれませんね。

 

ちなみに、私は小中高まで父と同じ学校だったりします。

高校は受験に失敗した結果なのでたまたまなのですがw

そんなわけで我が子には高校は別の所に行って欲しいなぁと思う父なのでした。いや、敢えてそこに行きたいというなら止めはしませんけどね。

 

おやつのプリンを満足そうに頬張る我が子を見ながら、ぼんやりとそんなことを考えた休日の午後3時。

 

それではまた。