本当の強さとは。自らの弱さを受け入れること
昨日の夜。24時を少し過ぎた頃だっただろうか。眠る前にネットをふらふらと巡回していたところ、ひとつのエントリに出会った。さらさら録。なぎさらささんがこれまでの歩みを綴ったものだった。
これだけの痛みをなぞり、半匿名とはいえ公の場に晒すのはいかほどの覚悟だったのか。例え衝動的に必死にキーボードを叩いたのだとしても、公開する前にためらいはなかったのか。ふと、ある詩人の言葉を思い出した。
詩とは何か。「“防禦(ぼうぎょ)”の姿勢を忘れて歌いはじめる」こと(飯島耕一氏文より引用)。すなわち。美しい破綻であり。白鳥の歌であること。それぞれの。平和のうたであり。それぞれの。愛のうたであることを。究極信じたいです。もう一度自分に言います。詩とは防御の姿勢を忘れて歌うこと。
— 宮尾節子 (@sechanco) 2014, 6月 25
詩とは防禦の姿勢を忘れて歌うこと。そうか、このエントリは、紛れもなく、詩だ。私はここにいるという叫びであり、生きている証明。自らの体験を通して現実に存在する問題を伝えたい、というただただ純粋な気持ちに触れて胸が熱くなった。だが安っぽい同情など失礼なだけだ。私に彼女の苦しみなど分かりようはずもない。ただ一言「ありがとう」とだけコメントをした。
本当の強さ。
それは自らの弱さを認め、受け入れること。
消してしまいたくなるような過去も含めて、全てが自分なのだと。
自らを否定せず、許すこと。
みっともない格好のままで。
情けなさを隠すように、はにかみながら笑って。
今日も明日も明後日も。
生きていく。