私のちオレときどき僕

年収400万の家づくりノート、子育て、想うことなど。日々を綴ります。

JDトークから学ぶSNSの危険性 〜これからのネットの話をしよう〜

先日、お昼にラーメン屋に入りカウンターで豚骨醤油ラーメンをすすっていたら、後からJD(女子大生)2人組が入ってきて私の隣に腰掛けた。彼女達はつけ麺か何かを注文したと思う。

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そこからプチ女子会的なノリのトークが始まり「騒がしいなぁ」と思っていたのだが、とある会話が耳に止まった。


「xxx達、結局2週間で別れたらしいよー」
「えーそーなんだー」
「てゆーかさー、xxxまだ元カノとの写メとTweetアップしたまんまなんだけどー」
「マジでー?あーでも一回アップすると消せんのかなー?」
「かもねー。でもそのまま次行くとかありえんくなーい?」
「ないわー」
「xxx、Aちゃんのこともあの後すぐフォローしてたし」
「チャラいよねー。xxxのアカウント、見れたっけ?」
「えーと確かねー、どっかでつながってたよ。ちょっと待って」


こ、これが噂に聞く
マクドナルドで隣の女子高生が会話してたんだが」
パティーンかっ!ネットの世界だけの話じゃ無くて現実にも存在するのねっ!と軽く感動を覚えつつ、しかしこれはなかなか核心をついているなー、と考えさせられた次第。

ソーシャルネットワークとデジタルタトゥー

まず、自分で思っている以上にあまり親しくない人にもソーシャルネットワーク上での振る舞いをウォッチされている可能性があるという点。FacebookTwitterは知り合いの知り合いなどで探すと案外すぐに目的の人物に辿り着けてしまったりする。
そして、いわゆるデジタルタトゥー…一度ネットに流出してしまった情報は簡単には消せないということだ。今回のケースは単なる消し忘れ(もしくは単なるズボラな性格)だと思うが、元画像をキャプチャして2chに晒されたりLINEで仲間に一斉送信でもされればもはや回収は不可能だろう。黒歴史は簡単には消せないのだ。

ハウスブロガーとしての注意点

そして、ここから私のようなハウスブロガーが注意しなくてはならないポイント。

家族構成、
職業、
大まかな居住地、
土地に関する情報、
不動産屋、
家の外装、内装、間取り、庭、外構
建築会社、
警備会社、
不在にしている時間帯、
等など。

これらの情報をかなり自発的にネットに公開してしまっていないだろうか?
最近はGoogleマップストリートビュー等の技術が目ざましい勢いで発達している。上記の情報を元に徹底的に調査されたら、プロの探偵でない素人でも身元を特定出来てしまう可能性は十分にある。

…と自分のブログについて心配になり今一度見直しをかけている最中である(汗

私も他人の家づくりブログを参考にさせてもらっているので、全ての情報をブロックしてしまう/されてしまうと悲しいのだが、あまりにも明け透けに全てを公開されている方も居ると、見ているこちらがハラハラと要らぬ心配をしてしまう。上記のポイントのいくつかをうまくぼやかしたり、フェイクを入れたりするのが良いと思う。土地の場所と建物の外観あたりをぼやかしておけば、余程大丈夫だとは思うのだが…。お互いに気をつけたい。

子育てブロガーとしての注意点

また、子育てブロガーとしてもう一点。
ネットに子供の顔写真を掲載するや否やという問題がある。このあたりは各家族のポリシーなのでとやかく言うつもりはないが、子供の同意を得ていない、または子供がまだ幼く的確な判断能力が備わっていない状態で、親の独断で写真を公開することは感心しない。少なくとも子供の顔を公開するのであれば、自分達親の顔も同時に公開するべきであろう。子供の写真だけせっせとアップしておきながら自分は一切顔を見せないというスタンスは頂けない。このあたりはもはや良し悪しというより、個人的にそのやり方は好かん、というだけだが(苦笑

しかし、
「何年何月産まれの◯◯ちゃん(本名)。今年は何回目のお誕生日♪ (にっこり顔写真付き)」
というレベルの情報になってくると個人の好みの問題では済まなくなる。卒業アルバムを売り買いするのと大差ない状況になってくるのでこちらも気をつけたいところだ。

結局これからの時代、ネットとどう向き合っていけば良いのか?

ケースバイケースなのでこれを守っていれば大丈夫というガイドラインは無いのだが強いていうならば、

あとで親・兄弟・子供・親族・恩師・仕事仲間に見られても恥ずかしくない内容を公開する

ということだろうか。
まぁそればかり気にして毒にも薬にもならないようなことしか書けなくなっても本末転倒のような気もするのでさじ加減が難しいところだが…。いっそのこと逆の方向へ進んでイケダハヤト氏のように全てをさらけ出していくのも手かもしれない。ほら、昔から言うではないか。作家は自分の人生を切り売りして生きているのだと。