私のちオレときどき僕

年収400万の家づくりノート、子育て、想うことなど。日々を綴ります。

退職届を提出したら色々あった話。

カタッカタカタ...カタ...

 「っしゃー...これで...最後っと...」

カッ...! ッターン!
サマーウォーズよろしくキーボードのエンターキーを思いっきり叩き込む。

 「ふぅぅぅ...」

深く息を吐く。
メガネを外し、オフィスチェアの背もたれに全体重を預ける。
そして、う〜〜〜〜〜ん、と伸び。
目に映るもの。
新しい天井。
新しい壁。
新しいオフィス。
慣れない業務で疲労はあるが、どこか心地良い。
僕は、すっかり生まれ変わった気分で毎日を過ごしていた。


 *


今から時をさかのぼること、およそ半年。
2014年12月。

某議員さんばりに号泣会見をして会社をやめる決意をした僕。
退職届の書き方はバッチリ(Google先生に教わった)。
OK、問題ない。
書簡をしたためた勢いそのままに、部長にズビシっと提出してやった。
部長ももはや何を言っても無駄と半ば諦めていたのか、

 「あ〜未定だが受注確度の高い重要な仕事があるからそれだけはちゃんと片付けろよ」

とあちらはあちらでバカげたことを言いながら(重要な仕事ならば辞める予定の人間にやらせるべきではない)しぶしぶ受理されたのだった。
しかし、あまり後先考えずに退職届を出してしまったため、次の仕事のアテが全く無い状態だった。
とりあえず退職までの2ヶ月弱の間に転職活動しなくちゃなーとネットで転職サイトを物色しはじめた。

そんな年の瀬も押し迫ったある日の夕刻。
一本の電話がかかってきた。

社長だ。

断っておくと僕は社長と特別親しい間柄ではない。
むしろほとんど喋ったこともない。
ただ、数年前に会社の新年会の幹事をしたことがあってその時に連絡先を交換したのだ。

ブイー...ン!ブイー...ン!

静かに鳴動しながら、うるさく自己の存在を主張するスマートフォン。

一瞬迷ったものの、まがりなりにもまだ雇われの身。
出ないわけにもいかない。

 「...はいxxxです」
 「xxx君?今日部長から話を聞いたんだけど。...やめるんだって?」
 「あ、ええ、はい。そうです」
 「ちょっと、話を聞かせてもらえないかね?」
 「...はい」

正直、ここまでは想定の範囲内だった。
おそらく、慰留されるだろう。
僕はとあるお客さんと縁あって仲が良くなり、定期的に仕事をもらえていた。
いわゆるお得意様である。
そのパイプが危うくなるとうちのような中小企業としてはそこそこの痛手になる。
可能ならば避けたいところだろう。

結局、電話をもらったその日の夜に会うことになった。
でもまぁ正直なところ、この時はどうでも良かった。
もはや自分には関係の無い、過去の世界の話だと思っていたからだ。

事務所のセキュリティゲートをくぐる。
社長は常に多忙で、実際に腰を据えて会うのは件の新年会の時以来だ。

 「やぁ、よく来たね。座って座って」

社長室へ招き入れる社長。
僕の記憶よりちょっと白髪が増えて、ちょっとだけ老けていた。

 「いやぁ、ホントに今日の今日、突然部長から聞いてねぇ、ビックリしたよ」

と苦笑まじりに語りかける社長。

 「はぁ。はい」

死ぬほど愛想の無い僕。
雇い主に対してとことん失礼な野郎である。

 「それで、部長からこんなものを受け取ってね」

ぱさり。
と封筒をひとつ、机に置く社長。
それは。
退職届だ。

でも。
これは。
僕の字じゃない。
これは。
部長の字だ。
つまり。
部長の退職届。

なんで?
という思いと。
ついにその時が来たか。
という思い。
半々だった。

 「xxx君がやめるのと同時に牛田君もやめたいと言って来ているそうだ。そして、外島君、丹羽君も不満があって近い将来転職を考えているという」


まぁ、周囲についてはおおよその話は聞いている。
僕の所属している部の主任クラス以上は大抵みんな不満をもっている。
そしてその理由が部長の人間性に起因することも。
アルハラ、無理難題に近いノルマ、圧迫面接、辞めようとする社員への強引な引き止め、等々。
それらが何か法に触れているか?と言われればおそらくそうでもない。
が、しかし。
だからと言ってそんな人間の下でずっと働きたいか?と問われれば大抵の場合答えはノーだろう。

 「もしこのままいくと在籍1〜2年の新人クラスを除いた全員がやめることになってしまう。このままでは部として成り立たないので...」
 「部長自身が責任をとって...引責辞任、ということですね」
 「うむ」

えーと。要するにアレか。

 「やめまーす」
 「じゃ僕も」
 「私も」
 「あ、じゃあオレも...」
 「「「どうぞどうぞ」」」

的な...ダチョウさんパティーンか。
しかし責任をとるにしてもいきなり辞職はないんじゃないか?
降格とか減給とか、他の部署へ転属とか、何かワンクッションあるだろう。
あれだけ責任があるだのなんだの豪語してた割に、最後の最後で全てを放り投げるとは。
ひどいものだ。
それとも、そういう反省のポーズをとってみせているだけか?

 「それで、そう。話を戻して。xxx君は結局、部長との折り合いが悪くて、やめるんだよな?」
 「まぁ...その...何と言いますか...」
 「大体のことは言わんでも分かる。私の目からみても彼のやり方には確かに色々と問題がある。彼の報告する社員評価が低いから皆の給料も低い」

そう思ってたんなら社長権限でもっと早く介入してくれよ、と思った。
勿論、口には出さなかったけれど。

 「そこで、だが。彼が全く別の部署へ異動して居なくなる、という話だったらどうだ?」
 「え?」
 「実は今、xxx地区の強化のために新しい事業部を設立する計画があってね」
 「は、はぁ」
 「部長にはその新しい事業部を任せる予定だ。環境を一新してもダメなら...」
 「なるほど」

最後のチャンス、というわけか。
それで起死回生、持ち直せば良いし、失敗したら元々の本人の希望通り退職してもらえば良い、と。
なかなか悪くない計画かもしれない。

 「そうすると、今の部には部長が不在となるわけだが...。xxx君、どう?」
 「どう、と言いますと」
 「や、だから。君が部長になるんだよ」
 「はっ!!!???」

もはや慰留どころではなかった。
僕の役職は係長だから、2階級特進レベルである。
死ねということですか。

 「なんなら部長じゃなくて、いっそのこと社長でも良いがなぁ。私もそろそろ引退したいし」

ガッハッハと笑う社長。
な、なんだよ、冗談か。
ホッとしている僕に

 「ともあれ、xxx君は部では一番のベテランだからな。可能ならばリーダとして皆をまとめていって欲しい。しかし、もしリーダが嫌だというなら無理にやらなくても良い。とにかく辞めずに残ってくれるなら環境は改善するから、一度考えてみて欲しい」

と笑いながら社長。
さすが社長だ。
ノールール。
いや、オレ is ルール。
もはや何でもアリだ。
しかし。

 「ちょっと...唐突すぎて考えがまとまらないので、持ち帰って良いですか?」
 「もちろん良いとも。また年明けにでも話をしよう」
 「はい」

社長との話を終えた夜。
僕は考えていた。
...このままおよそ部の半分がやめていったら、残された人達はどうなるのだろう。
残されるのはまだ入社して1年、2年の新人達ばかりだ。

...他の部で拾ってもらえるだろうか。
...もしくは管理職クラスが全員やめていくような会社には嫌気がさして、自分から転職活動するだろうか。
...いや、業務歴が浅いといきなり転職は厳しいか。
...あるいは部長についていって新しい部署へという選択肢もあるか。

...考えても、そんなことは分からなかった。


 *


部長の退職届をこの目で見てからというもの、何かもやもやとしたものを胸に抱えるようになった。

 「このまま、辞めてしまって良いものかなァ...」

問いかけても答えは無い。
誰も教えてくれない。
そりゃそうだ。
正解なんて世の中のどこにも無いのだから。

いくら考えても分からない。
だったら。
僕は、部のみんなに直接話を聞いてみることにした。
ここ最近は自分自身のことに精一杯で、他の人の話をじっくり聞いたことが無かった。
みんな、どんな心持ちで最近の業務にあたっているのか。
仕事は楽しいか、きついか、まぁまぁか。
給料は満足か、不満か、それなりか。
率直に、会社のことをどう思っているのか。
部長が辞めようとしていて、これからその部を皆で一致団結して立て直す必要があるが、どう思うか。

年末進行で忙しい中、急いでアポをとって走り回った。
実際に話してみると、みんな、驚くほど前向きだった。
部長の話をすると最初はさすがに驚きはするものの

 「立て直し、是非やりましょう」

と口々に言ってくれた。
そして人間的にも良いヤツばかりだった。
象徴的だったのは新人の有田君。
彼とは年末の最終出勤日に話をしたのだが、話が終わった後、自ら率先して大掃除をし始めた。
他人のデスクや来客用のテーブルも

 「一年の最後なので」

と額に汗を浮かべながら笑顔で掃除していた。
新人だと思っていたのに、いつの間にかちょっとだけたくましくなっている。
なんだか、自分が悩んでいることが一気に吹き飛んだ気がした。

歳を取れば取るだけ、転職は不利になる。
当たり前のことだ。
でも、僕は数年くらい回り道しても30代。
きっとまだなんとかなる。
そもそも今回の件は有田君のような新人達にしてみればある日突然天災が起こったようなものだ。
彼らのあずかり知らぬところで上層部がゴタゴタしたせいで、下手をすれば職を失いかねない状況に陥ってしまう。
単純に、それは嫌だ、なんとか避けたいと思った。
トップ不在という異例な事態から部を持ち直せるという確たる証拠は無かったけれど、メンバの皆がこんなに元気ならきっと行ける、と直感した。

年末年始。
直感だけでなく数字的な裏付けをとるため、部の売上と支出、利益のデータを自分の分かる範囲でまとめた。
僕の試算によれば、明らかに無駄と判断出来るコストをいくつかカットすれば部長が抜けて売上が下がっても問題無さそうだ。

いける。

直感が、確信へと変わった。


 *


2015年5月。

半年で色々と変わったことがあった。

辞めると言っていた人達。
社長と面談を行い、退職届は白紙になった。
一部の転職先が決まってしまっていた人を除いては全員残ることになった。

オフィス。
他のフロアへ引越して別の部署と同居させてもらうことにした。
多少手狭になったものの、今の人数ならこれで十分。
コストカットをしつつ他の部との連携を強化する。
社長の発案。ナイスアイディアだ。

部長。
新しい事業部の立ち上げに奔走することになった。
人が全く集まらずうちの部の皆にも「ついてこい」と声をかけて回っていたらしい。
しかし、誰もついていかなかった。
それが全てを物語っているような気がしてならない。
ちなみに、僕には声がかからなかったけれど、何故だろうか(棒)。

僕。
チーフ、という肩書きになった。
一般的に言うと課長クラスらしい。
ヨコモジ、ヨクワカラナイデース。

部。
今は部長不在のままで、予算や人事は一時的に社長が特別管理している。
余所から部長を引っ張ってこないところをみると僕を部長にしようという社長の発言は冗談ではなかったのかもしれない。

 「有田さん、すみません。ちょっとここ、分からないんですけど」
 「はい。今行きます」

木下君と有田君の声で回想モードから現実に戻る。
木下君はこの春に入社した新人君だ。
そう、去年までの新人である有田君はめでたく先輩になったのだ。
早速、木下君に業務の進め方を指導したりして張り切っている。

 「ここをこうすると...」
 「なるほど、そういうことですか」

僕の選択が正しかったのか、今はまだ分からない。
ただ、

 「うーん、ここはもうちょっと、修正しましょうか」
 「分かりました」

フレッシュな新人と、少し頼もしくなった元新人と。
2人の姿を見ていると正しいとか間違いとか関係なく、
この職場で仕事を続けていて良かったな、と純粋に思えた。

あとは、5年後10年後もこの選択をして良かったと言えるように。
後悔のないように。
ひたすらやるだけだ。

 

 (終)

 

 

泣き虫。変わりたかった僕、変われなかった僕

僕は、泣いていた。

僕は、昔から泣き虫で。

今も、ちっとも変わらない。

 

 *

 

半月ほど前に僕と僕の初めての部下の話を書いた。

もう随分時間が経っていた昔の事だから、冷静に当時を振り返って書けるだろうと思って書き始めた。

でも、ダメだった。

途中からどんどん辛くなって、書くべきこともボロボロこぼれ落ちて。

最後まで書ききったというより、なんとか不時着したという具合だった。

 

 「この人、自分に酔ってるよな」

 

というコメントを頂いた。

言い得て妙だ。

僕は酔っていた。

ただ、その酔いはナルシズムではなくて。

悪い風に当てられた、ひどい悪酔いだった。

 

 *

 

僕は、変わりたかった。

でも、結局変われなかったのだと思う。

あの時ほどひどいことはもう起こさなかったし、起きなかったけれど、結果としてそれからも何人もの人間が傷ついて辞めていった。

僕に誰かを救うことなんて出来なかった。

最初からそんなことは出来るはずもなかったのだ。

ある時、誰かが言った。

 

 「xxx君がそうやって甘やかしているから、部下が育たないんだよ」

 

それもまた真実だ。

僕はぽっかりと穴があいたような虚無感に教われた。

それからは惰性で飛び続けているだけだった。

手がけていたプロジェクトに区切りがついた時、僕は会社を辞めようと思った。 

 

 *

 

今日、上司にそのことを伝えた。

街のコーヒーショップで周囲もはばからず年甲斐もなく泣き崩れながら伝えた。

上司は

 

 「気持ちは分かったが、また改めて話そう」

 

と言った。

 

 「オレは責任があるから逃げない」

 

とも言った。

逃げる?何から?どこから?辞めることは逃げることなのか?

お前に何が分かるんだと思った。

もう話す事なんて無いと思った。

けれどもう何も言う気力も無かった。

言葉を紡ごうとするだけで、震えて、涙がこぼれていた。

話すなんて、普段、簡単に出来ることが、出来なかった。

隣のテーブルで女子高生2人組が楽しそうにおしゃべりしていた。

こんなに近いのに、自分の住む世界とは違う、キラキラした映画の中の世界みたいだな、と思った。

 

 *

 

これからどうなるかは分からない。

正式に辞表を出したわけでもないので、いつ辞めるかも決まっていない。

気持ちをリアルでも吐き出せたことで少しだけすっきりしたけれど。

 

最後に、前回の記事で気分を害された方がいらっしゃったようで、大変申し訳ありませんでした。 

全て私の未熟さゆえです。

落ち着くまでしばらくブログのほうも休ませて頂きます。

ありがとうございました。 

 

 

(終)

若者が逃げていく会社「ため息ばかりじゃ何も変わらないですよ、社長さん!」

先日、昔から馴染みのある会社の社長さんにお会いする機会があった。

その会社は規模こそ小さいものの製造業一筋で二十余年。コツコツと頑張って来た会社で、社長さんも年齢を感じさせないパワフルな人物だ。

 

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しかし、その日はどことなく浮かない顔をしていて元気の無い社長。もしやと思って聞いてみると案の定。今年の春からの消費増税の影響もあってか今季の売り上げがかなり悪いらしい。
 
 「こういう時こそ、初心に戻って地道に営業じゃないですか?」
 
と振ると
 
 「いやぁ若いフレッシュな人間を採用しようとしてるんだけどねぇ。募集かけても全然来ないんだよねぇ」
 
とため息。
 
 「そうですか。あ、じゃあ○○さんはどうです?彼なら若手筆頭だしガンガン営業行けるんじゃないですか?」
 「○○は先月で辞めたよ。いきなりで取り付く島もなかった。あんなに話の通じないやつだったとはな」
 
と今度は一転、憤慨モード。
 
 「そ、そうですか。あ、じゃあここは空気を変える意味でも製品のラインナップ見直しはどうですか?新商品のアイディアも出てくるかもしれないですし」
 「いやぁ、それもなかなか余裕が無くてねぇ」
 
とまたまたしょんぼり。取り付く島もないのは社長のほうである。
 
若い人間が来ない、と社長は嘆いた。そりゃそうだろう。あれも出来ない、これも出来ないの言い訳ばかりでしまいには世間に恨み言を並べる始末。若い人間でなくても、こんなしょぼくれたオーラの無い人間がトップをつとめる会社に入りたいとは誰も思わないだろう。
 
さすがに部外者である僕からはそんなことは言えなかったので
 
 「すぐに挽回するのは無理でも、中長期的に成長していくために計画を立てて、ひとつずつやっていきたいですね」
 
とだけ言って切り上げた。
 
 *
 
ため息ばかりじゃ何も変わらない。
計画を立てて、行動しなければ。
プロセスが変わらなければ結果は同じ。
変わらないのだ。
一刻も早くパワフルだった頃の社長に戻って、また景気の良い話を聞かせてくれることを願うばかりである。
 
 
(終)

人は水と同じ。高きから低きに流れ、滞留すれば直に濁っていく。

師走。

北風が冷たさを増して、それに追われるように日々の生活も慌ただしさが徐々に加速してくる。

 

僕はというと、しばらく仕事をもらっていたお客さんから「不景気で仕事が無くてねぇ」と残念な話があり、この年末で一旦契約を打ち切る方向で話が進んでいるところだ。

その場は

 

 「ま、しゃあないっすね!また何かあったらお願いします!」

 

と明るく返したものの、はてさてどうしたものか。

本来であれば速攻で別のところに営業をかけたり、自分の手に余るのであれば会社にお願いするところなのだが...どうにも二の足を踏んでいる。来年には自分自身の引っ越しが控えているというプライベートな事情もあって、この際転職するのもひとつの手かな、と思ったりしてまだ考えがまとまらずにいる。

 

 *

 

人は水と同じ。

高きから低きに流れ、滞留すれば直に濁っていく。

血液のように自らを常に循環させなければならないのだ。

 

今の会社にずっと居る必要は無い。

むしろ、ずっとひとつの場所に長く留まり過ぎたのかもしれない。

 

今日一晩、ゆっくり考えて。

それから色んな人に相談するとしよう。

鬱病で会社を辞めていった君へ

社会人生活1年目を過ぎた頃。

僕に初めての部下が出来た。
名を綾野という。
 
綾野は専門学校卒で20歳。右も左も分からないような青年だったが初めての部下ということで、彼の面倒を見てやろうと僕は張り切っていた。
 
研修期間から担当してメールや報告書の書き方からみっちり指導。休憩で一緒にメシに行くようなことがあれば必ず奢っていた(自分も大してお金を持っていないくせに)。
 
要するに、先輩風をビュウビュウと吹かせていたわけである。
 
綾野はお世辞にも要領が良いとは言えなかった。むしろすこぶる悪いタイプだった。3ヶ月の研修期間が終わる頃になっても、誤字脱字等のいわゆるケアレスミスが多かった。その部分に関しては細かく注意したり敢えて注意せずに自分で気がつくように仕向けたり色々と試していたがなかなか改善傾向は見られなかった。
 
ただ、綾野のパフォーマンスが良くないことについて僕は楽観的だった。
自分が20歳そこそこの頃なんてまだ学生で、お小遣い稼ぎ程度にバイトを少しかじっているぐらいだった。それに比べたら綾野は既に社会人として働き始めていてその点では彼を尊敬していたし、自分より数年間の猶予があるのでゆっくりと上達していけば良いと思っていた。
 
 
3ヶ月の研修期間を終えて実際の業務に入っても綾野のパフォーマンスは低いままだった。相変わらずケアレスミスは多く改善傾向は見られなかった。僕が見えている範囲の場合はカバー出来たが、どうしてもお客さんにダイレクトに見えてしまう部分があり、クレームがちょくちょくあがるようになった。また、社内で総務からも綾野に関して勤務表などの提出が遅く出てきてもミスが多い、と指摘があった。この段階でもまだ僕は時間が解決してくれるだろうと楽観的だった。
 
 
さらに3ヶ月後。綾野の入社から半年ほど経った頃。最初の異変が訪れた。業務が忙しくなるにつれて毎日提出することになっている報告書の提出が滞りはじめた。1日、2日と遅れ、週末にまとめて出すようになり、ついには出なくなった。僕が提出するように促すとすみません忘れてました、と言ってようやく出る調子だった。
ある日、部長から僕宛にメールが届いた。
 
 「最近綾野君の提出物がルーズで目に余る。やる気が無いのならやらなくて良い。また、本件は上司であるあなたの管理責任でもある。早急に対応するように」
 
僕は、自分自身も綾野本人もやる気はあり必ず改善します、と返信した。
この時の僕はこれからさらに状況が悪くなっていくなどとは全く考えもしなかった。
 
 
次の異変が訪れた。
綾野は朝9:00に出勤しなくなった。
フレックスだったので9:00ちょうどに出社する必要は無いのだが、それまではそんなことはなく毎日9:00に来ていた。
それから、ズルズルと遅刻・欠勤を繰り返すようになった。
 
綾野は元々アトピーがひどく、遅刻や欠勤の理由はアトピーでよく眠れない、身体がだるい・痛い、というものだった。
 
次第に遅刻や欠勤の連絡も来なくなり、こちらから今日は来るのか?と連絡して確認しなければならなかった。そんな状況が毎日のように続いた。
そしてそれが部長に知れると僕は相当な勢いで叱責された。
 
 「連絡も出来ないなどあり得ない。やめてしまえ」
 
大丈夫です。改善しますので続けさせてください、と僕は言った。
 
 
次の異変が訪れた。
連絡が来ないばかりか、こちらから電話をしても繋がらない状況になった。僕は部長に呼び出された。部長から電話をしてもやはり出ない。協議の末、僕が綾野の自宅まで様子を見に行くことになった。綾野の自宅は駅から少し離れていて、タクシーで15分ほどのところだった。
 
夜の9時頃だったと思う。
綾野の家の前に着いた僕は携帯に電話をかける。
出ない。
もう一度かける。
出ない。
今度は自宅の電話にかける。
プルルルルと家電の着信音が外に居る僕にも聞こえた。やはりこの家だ。間違いない。しばらくかけ続けると、年配の女性が出た。お祖母さんだった。
 
 「はい。綾野ですけれど」
 「私、会社で綾野君の上司をしています、xxxと申しますが」
 「あぁはい。お世話になっております」
 「綾野君に連絡が取れないので心配になりまして。今、いらっしゃいますか?」
 「少々お待ち下さい。…△△△くーん、△△△くーん!」
 
数分後、綾野が出た。声の調子から眠っていたようだった。
 
 「はい…もしもし…」
 「xxxだけど。今、家の前に来てるんだけど」
 「えっ!?」
 
驚いた様子だったが、すぐに家に招きいれてくれた。
綾野の部屋に入った僕は、差し入れの栄養ドリンクを渡して彼の話を聞いた。
 
今回連絡が取れなかったのは、ちょうど携帯の充電が切れていて、その状態で寝込んでしまったためだと綾野は釈明した。
僕は、そうだったのか、と素直に信じて少し安堵した。部長にもそのように報告したが、部長は納得していないようだった。
 
 
その一件の後も綾野の出勤状況は改善されず、有給休暇はすぐに底をついてしまった。僕はまた部長に呼び出された。
 
 「この状況では会社として承認できない。綾野君と相談して上司としてどうするのか決めろ」
 
僕は、綾野と会話して、まだ本人に続けたい意思があることを確認した。そして続けさせてください、と部長に言った。後日、書面で業務改善命令を通告され、綾野は減給処分となった。
 
僕は部長にこう言われた。
 
 「今月は既に半分以上欠勤している。持病のこともあるから遅刻はともかく、次に無断欠勤するようなことがあったらその時は覚悟しておくように」
 
僕はただ、はい申し訳ありませんとしか言えなかった。
 
 
数日後。
綾野は無断欠勤をした。
僕が昼食時に電話をしてみると、出た。そして
 
 「すみません、今日は身体が痛むので休ませて下さい…」
 
と弱々しく受話器の向こう側で言った。
電話を切った僕は終わった、と思い絶望的な気持ちの中、お昼を食べた。ラーメンだかうどんだかを食べたが、何の味もしなかった。それまで食べた中で一番不味い昼食だった。
 
 
綾野は自宅療養することになった。
一ヶ月間体調を整えることに専念して、その後復帰することになっていた。
僕はまだ信じていた。体調さえ回復すれば大丈夫だと思っていた。
休職中にこういう勉強をしておこう、と決めて綾野と約束した。
メールで勉強の状況を報告することになっていたが、今日は体調が優れないのでここまでにします、という内容が来るようになった。
メールの文面からも、体調が回復しているようには見えなかった。
 
 
一ヶ月後、綾野が来ることになっていた日。
そこに彼の姿は無かった。
連絡も無かった。
 
 
僕は部長に呼び出された。
 
 「この書類に記載して、提出するように」
 
退職に際して業務上知り得た機密保持を約束する文書だった。
 
 
次の日の朝。
僕は再度綾野の家を訪れた。
そこで話をした。
 
 「もうちょっと頑張ろう。ここで諦めてしまったら、これまで積み上げてきたものが全部水の泡になってしまうぞ」
 
すると綾野は
 
 「信じてもらえないかもしれませんが」
 
と前おきをして
 
 「会社に行こうとすると頭がグチャグチャになっておかしくなりそうなんです」
 
僕は何も言えなかった。
体調が回復するとかそんな次元ではなかった。 
綾野は明らかに精神を病んでいた。
終わった、と思った。
 
* 
 
結局、僕は上司として綾野を導いてやろうなどと考えているようで、実際のところは全く何も出来ていなかった。むしろ部長に責任を問われて自分の保身を考えているだけだった。彼を守るどころか追いつめるようなことばかりしていたことに、最後の最後になってようやく気づいた。
綾野と別れた後。
僕は、泣いた。
トイレで泣いた。
赤くなった目をぐっと眼鏡の奥に隠した。
 
 
綾野と過ごしたのはちょうど1年。
その間、部長に何度も叱責されて胃の奥が焼けるような苦しい感情を何度も味わった。
だが、綾野の気持ちを考えれば、僕の抱えているものなんて全然大したことはなかったのだ。
一人の人間の人生を狂わせてしまったのだ、という負の感情が僕にのしかかった。
 
謝ったところで、何も許されないだろう。
そして許してもらうつもりも無い。
 
ただ、この一件以降、上司だろうと社長だろうとお客だろうと誰に何と言われようと、部下は自分が守ると決めた。自分が追いつめるようなことは決してしてはならない。そんなことをするぐらいなら先に自分の首を差し出す。そう決めた。
 
それだけが僕が一生をかけて出来るつぐないだと思うから。
 
 
(終)

成長し続けるために「悔しい」「恥ずかしい」と思う気持ちを大切にする

先日、仕事で失敗をした。

失敗というより敗北というほうがしっくりくるレベルだ。

こんなことを言うと少々大げさに聞こえるかもしれないが、そのせいで丸一日を棒に振ってしまったし、自力では解決出来ず同僚に助けてもらってなんとか切り抜けた体たらくだったので自分としては完全なる敗北だった。仕事から帰る電車の中でも
 
  「あぁ自分ってつくづく情けないなぁ」
 
とがっくり肩を落としていたのである。
 
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しかし少し時間が経ち冷静になってから何故自分はこんなに落ち込むのだろう?と心の中を探ってみると、その根っこには
 
  「自分はもっとやれるはずだ」
 
というちっぽけなプライドがあることに気づいた。がっかりするということは自分で自分に期待していることの裏返し。
 
  「自分で自分に期待する」
 
口をついた言葉がとある曲を思い出させた。
 
俺はまだここに居るぜ
ずっと死ぬまで泣いているぜ
俺はまだ俺を好きか
(明日はどっちだ!/真心ブラザーズ)
 
俺はまだ俺を好きか?と自問自答する炎のシンガー、YO-KING。
そんな彼に自分を重ね合わせる。
そう、オレもまだオレを好きでいたい。
老け込んで錆びつくにはまだ早い。
人生死ぬまで勉強。
往生際悪く、最後まであがきまくってやろうじゃないか。
 
 
負けねえぞ
明日はどっちだ
君はどこにいる
 
よし、明日も頑張ろう。
 
 
(終)

「それ、手抜きだよ」社会人1ヶ月目で学んで今でも大切にしていること

 「xxx君。それ、手抜きだよ」

 

とあるIT企業になんとか就職して1ヶ月。

ようやく仕事に慣れてきたと思いはじめた頃。

必死になってキーボードを叩いていた僕に向かって、チームリーダである杉田先輩が冒頭の言葉を投げかけてきた。

 

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 「えっ...(そんなつもりじゃ...)」

 

困惑した表情を浮かべる僕の心を見透かすように、杉田先輩はこう続けた。

 

 「xxx君は一生懸命やっているつもりかもしれないけれど、そのやり方では非常に効率が悪い」

 「この一ヶ月、xxx君がどうしたら効率よく作業が出来るようになるか、何度かアドバイスしてきた。でもxxx君はそれを全く実践していない。もう少し自分でも考えて」

 「これはお勉強じゃなくて仕事なんだから。決められた期間内に終わらないといけないんだよ。その中でいかに効率よく出来るか考えないのは、手抜きと同じだよ」

 

作業は効率よく終わらせるべき。

当たり前のことだ。

だけど、ひたすらガムシャラにやっていた当時の僕にはそんなことも分からなかった。同時期に入社した新人の中でも作業スピードが遅いほうなのは分かっていたけれど、その分残業してカバーすれば良いとすら思っていた。

 

 「そんなので残業してても頑張ってるって言えないからね」

 

 そう言い残して、杉田先輩は自分の席に戻っていった。

 正直なところ、当時の僕は

 

 「そんなこと言われても、遅いものは遅いんだし、すぐには出来ないよ...」

 

と少々ふてくされていた。

だが、仕事を続ければ続けるほど杉田先輩の言葉の重要さが身にしみて分かってきた。

いかに効率よく作業のサイクルをまわすか?

時間のかかることが当たり前で、今が限界だなんて簡単に思わないこと。

常に模索すること。

それが将来的には自分を助けてくれるようになるのだ。

 

あれから10年近くがたった。

作業が行き詰まったり、忙しくて余裕がなくなった時。

ふと我に返った瞬間に、僕は杉田さんの言葉を思い出す。

そしてそっと自分に問いかけるようにしている。

 

 「それ、手抜きじゃないか?」

 

(終)